2025年9月末をもちまして、18年間お世話になった佐藤病院での当直勤務に幕を下ろすこととなりました。医師として、また一人の人間として成長させていただいたこの仕事に、心から感謝申し上げます。医師としてのキャリアを始めたときから数えると、実に31年間、当直に携わってきたことになります。今思い返せば、まさにこの当直の現場こそが、私を育ててくれた揺るぎない礎です。
医師としての最初の勤務先である武蔵野赤十字病院での救急当直は、まるで野戦病院のような厳しさでした。大げさではなく、あの経験が私自身の根本を大きく変えました。
理屈よりもまず、「動ける誰かが動かなければ、何も始まらない」という現実がそこにはありました。そして、動ける人とそうでない人の違いは明白で、現場はまさに、動ける人たちによってかろうじて支えられていました。
また、どれほど医学が進歩しても、患者自身に一定の自己管理能力がなければ、命を救うことはできない。そのことも、身をもって学びました。これら二つの意味において、肩書きや学歴、富といったものが持つ価値は、現場においてはほとんど意味をなさないのだということを痛感した日々でもありました。
働き方改革のなかった当時は、17時に救急外来のブースに入ったら翌朝9時まで、わずか1-2時間の休憩を挟んで0次から3次救急まで診察を続け、そのまま休む間もなく手術に入り、通常の病棟業務をこなして病院を出るのが23時という日々も珍しくありませんでした。それでも続けることができたのは、時に厳しくも、努力する私を認めて鼓舞してくださった看護師の皆さん、当直のたびに夕食代をめぐってじゃんけんをして毎回わざと負けてくださった事務の方、ご自身がさらに過酷な業務を背負いながらも根気よく丁寧な指導を続けてくださった先輩方(研修医2年目や、循環器内科、呼吸器内科、脳外科の若手の先生方)、そして苦楽を共にした同僚のおかげでした。
松沢病院では、憧れの名医たちに囲まれて研修するという幸運に恵まれました。当直には東京中から処遇困難な患者さんが警察に連れて来られるような状況でしたが、堅牢なシステムと適切な人員配置のおかげで、むしろ安心して研修に励むことができました。
地域の精神科医療の第一線を担い続ける浅井病院では、当直でも一筋縄ではいかない症例を頻繁に経験しました。しかし、朴訥ながら実直で情熱あふれる看護師の皆様、時に暴走しがちだった私を温かく見守り、絶妙なタイミングで指導してくださった卓越した先生方、そして優しい薬剤師や心理士の先生方のおかげで、充実した毎日を送ることができました。
日本医科大学では、当初、精神医療に対する偏見と戦うことに多くの労力を費やしました。しかし、そこで出会った志の高い精神科の先生方やスタッフ、精神医療を真剣に理解しようと努めてくださる他科の非常に優秀な先生方、そして科を越えて共に診療にあたった素晴らしい看護師さんたちとは、現在も深い医療連携が続いています。これは、一人でクリニックを運営する私にとって、計り知れない財産となっています。
2007年に留学から帰国後、月に一度お世話になり始めた佐藤病院での18年間は、土日の一人当直のため先生方と直接お仕事をする機会はありませんでしたが、カルテから推察される診立てや管理能力の鋭さには深く感服していました。何よりも、共に働いた優秀なスタッフの皆様には心から感謝を捧げたいです。お昼に出前のラーメン会に呼んでくださったことは、本当に嬉しく、忘れられない思い出です。
仕事に対する充実感もあり、なんとか60歳まで、邪魔にならない程度に続けたいと思っておりましたが、最終的には健康上の理由で終了することとなりました。当直人生の最後に、その最初に学んだ「自己管理なくして治癒なし」ということを、身をもって再確認することとなったわけです。これもまた人生の必然と考え、受け入れたいと思います。
あっという間のようでもあり、やはり長く、実り多い旅路でした。この旅で出会った全ての人々に、心からの感謝を伝えたいです。