震災についてですが、まずは、お二人から、「人間の意志が押しつぶされてしまった」津波の衝撃についても語られました。
川俣氏いわく「イメージの規模をはるかに超えていた」とのこと。また自戒するように「最大限のイメージができていなかったのかもしれない」「イマジネーションが鈍麻していたのかもしれない」とアーティストらしい発言をされました。
そして、それは「(政府、東電、メディアからたびたび聞かされた言葉である)想定外」ということではないかという指摘を桂氏から受けると、お二人の話の流れは、徐々に福島原発の事故の話題に移行していきました。
桂氏は最初に「東京は総合的に見て、まずい」とはっきりとした口調で話し、ご本人が感じている危機意識を述べられました。川俣氏の方は、フランスにお住まいですので、「(東京に来た際)もっとみんな原発事故について語っているのだと思った」とのこと。お二人はかなり深刻に原発事故について捉えているようですが、世間の認識がそれほどではないことに何か強い違和感を持っているようです。
桂氏は静かに語りだしながら、「鉄骨がむき出しになった建屋を見たときにがっかりした。忘れていた。こんな大事なものがあったんだ」という衝撃、それと同時に襲ってきた無力感について語りました。ただここで桂氏の仰った「大事なもの」というのは、単純に今回の原発事故のみを指すのではなく、原発の存在自体、ひいてはその根底にある原発をつくりあげたものにも向けられた言葉と解釈した方がよさそうです。また、震災以前から原発に対して危機意識をお持ちでありながら、それを震災後瞬時に発動させられなかったことへの悔恨を語られているようでもありました。
コンピュータやメディアに深い造詣がある桂氏ですが、ご本人がそれらの分野に関わることになったのは原子力があるから、とのこと。なぜなら、コンピュータは原子爆弾の弾道計算をするために生まれたからだそうです。一見身近にない、身近に感じたことがなかった原子力ですが、自分たちと密接に関わっていることを気づかされました。どんどん話が面白くなっていきます(ややセルフ・ドキュメントから離れていく気もしますが)。特に「私たちは原子力の申し子」という表現が印象的でした。
当日の模様はこちらからご覧いただけます。
→ https://youtu.be/aueA9Bhck0Q