野々瀬先生は、拳法に大変な情熱を注ぎ、その技は最高に美しく、そして強かったのですが「技やわ、どうでもええ(阿波弁で、技などはどうでもいい、の意)」と常に仰っていました。
また、「なんぼ強いやゆうても(強いなどといっても)、マシンガンを持ってこられたら負ける」のであって、「狙われたらどんなに強い人でも負ける、狙われない人こそが一番強い人じゃ」とも仰っておられました。では拳法の技を何のためにするのかという問いには、「芸術と思って美を追求しなさい」と即座に言い放たれるのでした(こうしたやりとりが、徳島の小さな道場で週に3回行われていました)。
他にも目から鱗の名言は続きました。
「人生はな、細く長く行きなはれ(人生はね、細く長くやっていきなさい)」
「まじめくさったことばっかりしか言えんようではあかん。常に冗談を言うて、周りの人を笑わせるようでないとあかん」
「物事を常に顕微鏡で見たように、細かあーにしか見えんようではあかん。それでは周りも自分も疲れる。時にはわざとぼやかして物を見るようにせなあかん」
「出世だけは絶対したらあかん(筆者注・・・自分の望まぬ形で、仕事をしなければならなくなるからなど、いろいろな意味があります)」
「挨拶は、先にされたら、そのされた相手に施しを受けた、ありがたいと思わなあかん。だからこそ、先に挨拶をせなあかん(しないといけません)」
「礼節は身近な人であればあるほど尽くさないとあかん」
等々、現在の自分が守れていることもそうでないこと(笑)も含めて、このように挙げてみますと、世の中に出てから役に立つ、宝のように大切なことを、この道場でほとんど教えていただいたように思います。なんだか、文章のみで紹介すると、高圧的な父親が、説教しているような印象を持たれるかもしれません。しかしながら、それは全て私の表現力不足からくるものであって、野々瀬先生は上記の様なお話を、いつも絶妙のタイミングで、しかも非常に穏やかな口調で、伝えてくださいました。
ギャグのセンスも可愛らしく、武道専門学校(少林寺拳法の総本山、香川県にあり、みんなで月に1度行って練習していました)で、他の道場の師範の説明を輪になって聞いていた私を見つけて、私の背後からこっそり「膝カックン(というのでしょうか)」をやってくるような方でした。驚いて振り返ると「八方目(はっぽうもく)が効いとらんな」とにっこり笑っておっしゃいました。「八方目が効く」というのは武道家たるもの、常に自分の注意を360度に払って、隙のないようにしておかなければならない、ということで、つまりは私に隙があったということが仰りたかったのでしょう(笑)。
・・・思い返せば黄金の青春時代でした。現在でも手紙や電話や、年に1度程度のご挨拶にて、野々瀬先生からお話を伺っていますが、未だに「達人に翳りなし」との印象に揺るぎはありません。あれから20年、私は世界中、いろいろな所を旅しましたし、多くの人々との出会いがありました。いわゆる「高名な」方々とも少なからずお会いする機会も頂いたのですが、野々瀬先生のような魅力を放っておられる方とは、そうそう巡り会うことはありませんでした。私にとっての魅力的な人物とは、常にメインストリームとは少し離れたところで、いや、そもそもメインストリームなど歯牙にもかけずに我が道を進んでおられる人であり、不思議かつ幸運なことに、そうした方々とはいつも、思いも寄らない機会に、思いも寄らない場所でお会いしてきました。そしてその度に、自分の未成熟や卑小さに気がつき、それまで執着していた価値観が瞬く間に消し飛んでいくのでした。そこには重苦しさなどは、幾ばくもなく、ただ爽やかな風が吹いているだけでした。
今回は、こういう感覚があるということを、できるだけ多くの方々に知っていただきたいと思い、野々瀬先生にお願いして、このブログで紹介させていただきました。
なお、徳島にいらっしゃる方々は、是非一度、野々瀬先生の直心館道場を訪ねられることをお勧めします(道場の地図はこちらです。https://www.ekiten.jp/shop_7069713/)。
最後までお付き合い下さってありがとうございました。乱文拙文お許し下さい。