さいくりブログ

臨床トーク_002 報告 vol.3

「水色ともちゃん」に完全に押されっぱなしではありますが、臨床トークの報告を続けさせていただきます(汗)。

「不動産業界が“こんなに大丈夫ではない東京”をどんどん売っていることにも違和感を感じている」、と川俣氏は言います。土地価格は下がっているが逆に中国資本なども含め、買う人が多い、とのこと。桂氏は、最近は他の都市(上海はもちろんですが、パリ、ニューヨークなど)も東京化していることを指摘していますが、川俣氏は「(ご自身在住の)パリはそんなことない」と即座に返されています。ただ、桂氏にパリといえど「ユニクロ」を着ている人がいるのでは?と返されると、「みんなユニクロ(笑)」と答えられています。もともと住んでいるパリジャンは頑ななところはあるようですが、外国人労働者がかなり入っていますので、その意味ではパリも「消費のモデル」となっているのかもしれません。

他国に比べ日本が外国人労働者を受け入れていない状況の話になったところで、東京に直下型の地震が来た場合の話題に移りました。地震が来た時に今のこの東京の社会規範は持たないとする桂氏の意見に対し、川俣氏は頷きつつ、震災後の「空虚感」が一番の問題、とした上で、東京の住みづらさについて指摘しています。海外での滞在経験が豊富だからこそ実感できることと思われますが、実際、貧困率や自殺率が高い東京は、世界のなかでもかなり住みづらい都市の一つではあるようです。「東京にいると疲れる」という川俣氏は、すべてが消費のためにあり、「健康まで消費」しているのではないか、とも語っています。首都圏は原発事故から飛散した放射性物質による汚染の問題を抱えていますので、健康を消費しているという言葉には余計に納得してしまいます。さらに東京では、「“だらっとした時間”が流れており、それが、“消費の連鎖反応”をおこしているのではないか」と川俣氏は指摘しています。

東日本大震災後、人々が東京を離れない理由は、今の東京の「消費が保てなくなるから」ではないかと逆説的な大命題を提示されるのは桂氏です。実際、震災後、まず皆が何をしたかというと、「食べもしない食料品の買い占め」をしています。桂氏のおっしゃるように、二日後には食べられなくなるコンビニのものを買ったことは一種の強迫観念なのかもしれません。この東京の日常が遮断されたら、「まず何ができなくなるか」というと、「消費ができなくなる」と考え、あるいはそのことを意識できずに行動してしまったことが強迫的になっている証拠なのかもしれません(これは、恐ろしーーいですよね、しかし「目から鱗」の視点ですね)。

日本の「コンビニ」についても話が及びました。川俣氏は「コンビニ」の存在自体にあらためて驚いてしまう、とのこと。生活に関わる商品だけでなく、24時間営業していて、ATMまである店というのは、他の国にはないそうです。桂氏は、「コンビニ」を「情報と交通の超合理的な形」と形容しつつ、都市は消費のための便宜でしかなくなっていると続け、「消費社会の成れの果て」として、今の東京を考えるのが面白いのではないかと提案されています。

今回の震災の後、原発事故があって、東京に住む人々が一番実感できたことは、東京で暮らす我々が電気の一番の消費者だったということです。これまでは「電気」というものはあって当たり前の「資源」のように感じていましたが、実は、莫大なコストをかけて作らなくてはいけないものだった、と認識させられました。今夏の電力不足について、メディアでも頻繁に取り上げれていますが、この認識こそ、震災後に得られた最も大きな変化であるといえるのではないでしょうか。

もう一つ、震災を通して認識されたこととして、「マスメディアが信頼できない」という言説が出てきている、という話題に移っていきます。桂氏から見ると、「マスメディアが信頼できない」というのは以前からそうだったわけで、何を今更、という感じがあるようですが、マスメディアには限界があるのはもともとわかっていたことであるし、同時に役に立つのも事実である、とのこと。ただ、「マスメディアが信頼できない→ネットの方が役に立つ」というのもおかしな話で、放射性物質による汚染の影響について考えるときに、(放射性物質の半減期と思われる)80年後のことは誰もわからない状況のはずで、正しい、正しくないの前に、そもそも「伝え方というのがあるのかな」と指摘されています。

さらに、最近もマスメディアなどで「正しい情報がわからないので」と言われるが、これまでの歴史の中で果たして「正しい情報があったのか」と、やや苦笑しながら話されているのが印象的でした(ここまで言い切ってくださると、なんだか嬉しい気持ちになると同時に、自分の考えもまとまるような気がしますね)。むしろ、正しい情報は簡単には手に入らないということが“わからない”こと、あるいは、そのことに対する“訓練ができていないこと”に問題があり、そして、そのような状況で、今回の震災があったことで、より私達の“情報”に対する姿勢の未熟さ、鈍感さが明らかになったということを、ご指摘くださったようでした。

「正しい、正しくない」の判断を含め、“情報”に対しての姿勢が問われているのかもしれません。マイケル・サンデル教授の正義論(『ハーバード白熱教室』で話題となったハーバード大学教授。コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者。)の話題もありましたが、この東京で「問いを立てる」ということの意義について、お二人が語り始めました。ここからのトークは、「問い」というテーマが縦軸となって展開していきます。

次回に続きます。

当日の模様はこちらからご覧いただけます。
https://youtu.be/yZRqzyHxrDI
https://youtu.be/2XI8MaBgJ5s