「臨床トーク_003「川俣正×桂英史×高山明」アンガージュマン (Engagement) とプロジェ(Projet)」レポート
2014年9月29日、西條クリニックにて「臨床トーク_003「川俣正×桂英史×高山明」アンガージュマン (Engagement) とプロジェ(Projet)」が開催されました。
臨床トークは今回が3回目。2年半ぶりの実施となりました。第1回目、第2回目の出演者である川俣正さん(アーティスト、パリ国立高等芸術学院教授)と桂英史さん(東京藝術大学大学院教授)に加え、今回は演出家の高山明さんが加わり対談を行いました。
出演者:
川俣正
1953年生まれ。仮設的な構築物を一般の人々との共同制作により各地でつくる作品で世界的に知られる美術家です。川俣さんは最初期から自らの作品を「プロジェクト」と呼び、現場での様々な人々との協働から生まれる場の関係性や社会性そのものをアートとして提示してきました。東京藝術大学先端芸術表現科の立ち上げに尽力し、2005年には横浜トリエンナーレディレクターを務めました。現在はパリ国立高等芸術学院(ボザール)の教授です。
桂英史
1959年生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科教授。専門はメディア理論と図書館情報学。『インタラクティヴ・マインド』『東京ディズニーランドの神話学』、『せんだいメディアテーク コンセプトブック』などの著作で知られるほか、各種アーカイブの構築、地域の文化施設の立ち上げや運営など、実践的な教育研究活動をされています。
高山明
演劇ユニットPort B主宰。Port Bは『完全避難マニュアル東京版』(2010年)、『REFERENDUM – 国民投票プロジェクト』(2011年)といった、実際の都市を使った「ツアーパフォーマンス」と呼ばれる演劇で知られています。2014年にはフランクフルトにて市街40箇所を用いた大規模なプロジェクト『完全避難マニュアル フランクフルト版』を実現して話題を呼びました。
経緯:
川俣さん、桂さんと西條院長の交流は、EPOCH(Extended Project for Community-care and Hospitality)と呼ばれる「精神医療と芸術表現のコラボレーション」をテーマとしたプロジェクトから始まりました。2002年に西條院長が呼びかけ、桂さんが応じて実現しました。EPOCHは東京藝術大学、日本医科大学、浅井病院、放射線医学総合研究所による共同プロジェクトです。2004年から浅井病院(千葉県東金市)をフィールドとして、精神障害者、病院スタッフおよび地域周辺住民を含めた協力者とともに、絵画、写真、園芸などをプログラムとするワークショップを数多く実施しています。
臨床トークはこのEPOCHの流れを受けて始まったトークイベントです。
対談:
●Port Bの結成
対談はPort Bの結成の話から始まりました。高山さんはドイツで演劇を勉強し、帰国後劇団を結成、演出家のピーター・ブルックの方法論などを導入して、3年間、週2回のワークショップを続けていました。しかし、作品を発表することがなかったので、舞台に出たい俳優たちは次第に劇団を去っていってしまったといいます。最終的に30人いたワークショプ参加者は3人になってしまいました。残ったのは、映像作家と歌手と音楽家でした。しかし、そこからスタートしたのがPort Bでした。
●川俣正とプロジェクトのはじまり
川俣さんが自身の作品に「プロジェクト」という言葉を使い始めたのは、1980年代、制作をはじめた最初期からでした。何もないところからスタートし、実現したいことを絵に描いて、人々を納得させ、材料やお金を集め、広報をして、作品を実現していきました。演劇集団のように役割分担をして計画的に制作していました。最初の頃は、自分の計画を他人に手伝ってもらうという感じでしたが、この20年は「考える場をつくる」ことが自身の役割と感じるようになってきたといいます。
作品をつくるときには、参加者を集め、一緒に街や地域をリサーチし、そのリサーチをもとに、何をつくるか議論し、住民の人たちにプレゼンテーションを行います。そして、住民からのフィードバックを反映して参加者と議論しながら、作品プランを決めていきます。参加者から何もアイデアが出てこないときには自分で出すこともあります。川俣さんはその過程がなにより楽しいそうです。
川俣さんは若干28歳で、ヴェネチアビエンナーレに招待されました。しかし、そこでの評判はさほど良くありませんでした。そこで、帰国後にはじめたのが、知り合いの木賃アパートを発表の場にしたプロジェクトでした。このアパートには1ヶ月で約30人が訪れました。写真家の宮本隆司さんや安斎重男さんもその中にいらっしゃいました。そのとき「(ギャラリーでも美術館でもパブリックスペースでもなく)極めてプライヴェートなところで表現する」のは自分の特許だと思ったそうです。1982年のことでした。
川俣さんは「引っ越ししたてのアパート」が好きだといいます。前の住人の生活の跡だけがあって、家具がなく、次に入居している人を待っている空間、その佇まいに惹かれ、学生時代には引っ越しを繰り返しました。引っ越せないときには部屋の模様替えをしていたそうです。
ヴェネチアビエンナーレに若くして出展することができたのは、ある年に誰よりもたくさんの展覧会(年13?14回)をやったからだといいます。批評家の東野芳明さんも(作品はご覧になっていなかったようですが)その姿勢を評価してくださいました。同じ材木を使いまわして、サーカスのように各地の画廊で次々と展示しました。この頃は「早い、安い、うまい」をキャッチフレーズにしていました。しかし、まわりの人からは「よくわかんない」「これで完成なのか?」「なぜわざわざ壊すのか」「危ないんじゃないか」などと言われたそうです。あるとき、名古屋から京都まで材料の材木を運んでいたときに「これはわざわざ運ぶより現地で調達したほうが早いのではないか」と気付き、そこから今のスタイルが生まれました。やがて、材料だけでなく、道具もスタッフも現地で準備するようになっていきます。それから30年間、規模も場所も時間もスタッフも違いますが、同じ方法を続けてきたそうです。
●参加者と観客
高山さんは「自分の場合だと、アパートの一番奥の部屋に何もなくてもいい。地図を作って、導線だけあれば、空っぽの部屋があるだけでも良い」といいます。最近はアーティストとのコラボレーションも増えていて、コンテンツはアーティストがつくり、自分はプラットフォームと経路を用意するということがメインの作業ということもあるそうです。
それに対して川俣さんは「高山さんの作品では、参加と観客は別で、観客という意識はないんじゃないか」と応えます。
高山さんは「もともと演劇を観客として見るのが好きで、作り手となった今も観客としての身体、作品を受容する身体を意識して作品をつくっている」といいます。ただし、作品を作り終えたあとは、観客のことはあまり考えないとのことです。
ここで、川俣さんが「参加者」と「観客」を区別した理由を桂さんが尋ねました。
川俣さんが観客について意識したのは横浜トリエンナーレ(2005年)のディレクターを務めた時のことでした。観客が会場の中で何を期待して、どう動くかについて徹底的に考えたといいます。その経験は東京都現代美術館での展覧会「通路」につながりました。
しかし、川俣さんはいまは観客についてあまり考えていないそうです。つまり、作品を共同でつくる(あるいは作品完成のために出資する)参加者さえいれば、見に来るだけの観客はいらないのではないかと。実際、今年完成した北海道のプロジェクトでは中学や高校の同級生300人から会費を1万円づつ集め、作品を実現しました。これは会員だけが見ることができる作品です。川俣さんは「秘密結社なんだ」と言って笑います。焼き鳥屋で現代美術の講義をしたこともあったそうです。そこでシュバルの理想宮やスウェーデンで自分だけの国を作ってしまったアーティストなどを紹介したことが楽しかったといいます。
川俣さんは「いま日本で盛んに行われている地域のアートプロジェクトでは、観客をどう動員し、地域を紹介するかという側面ばかりが考えられているけれども、そうではなく、何人かでもいいからできることをやればいいのではないか」といいます。重要なのは、お金を出すということではなく「関わる」ということだと、川俣さんは強調します。
高山さんの作品では、観客は参加者にならないと体験できない仕組みになっています。完全避難マニュアルでは、観客はウェブサイトにアクセスして地図をダウンロードし、指定された場所に行くことを求められます。行った先で何が起こるかはわかりません。観客同士が出くわすこともあります。
フランクフルトのプロジェクトでは、どのくらいまで参加に対するハードルを上げても大丈夫か試してみました。動物園の近くにあるパン屋さんを改装して着ぐるみ屋さんをつくり、そこに10着くらいの着ぐるみをおいて、お客さんに着てもらうという状況を作り出しました。すると、これまでに1日25人から30人くらいが実際に着ぐるみを着て街の中に出てくれたそうです。なかには動物園の中まで入ってしまう人も出てきました。(ここで、川俣さんはグッケンハイム美術館で行われたティノ・セーガルさんの参加型の作品や、ベルリンのナショナルギャラリーで発表されたマーク・ウォリンガーさんの熊の着ぐるみの作品を紹介しました)。
●アンガージュマン
アンガージュマンという言葉が盛んに使われるようになったのは、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが唱えてからのことでした。しかし、サルトルの場合には、政治参加という意味合いが強く、アートのことはあまり意識されていませんでした。
桂さんはトークに先立ってsocially engaged art という分野について書かれたレビュー論文を川俣さんと高山さんに送りました。論文ではコミュニティアートなどについて触れられています。
川俣さんは「参加を前提にした参加」ではなく「たまたまぶつかるような偶然性」がほしいといいます。それはつくる側からすると「観客を裏切らなければならない」ということでもあります。「関わりたい」という意識についても、最初からそう思って来るのではないほうが作家としての気持ちが伝わると川俣さんはいいます。
ここで高山さんが「演劇の場合には、舞台にのるかどうかが問題になる」と指摘しました。高山さんは、自分が舞台にのせられるような演劇は嫌いだし、作り手としてもお客さんを舞台にのせる気はないといいます。また、舞台にのりたいというような人も困ると。高山さんの中では、お客さんが「客席」にいながらにしていつの間にかそこが舞台になってしまうような「ひっくり返ったような関係」をどうやって作れるかが重要なのだといいます。
川俣さんは、最近はあえてスケッチを描かなかったり、リサーチしたものをひっくり返したり、極端な場合にはリサーチすらしないこともあるそうです。なぜかというと、30年も続けていると、絵を描けばそのままのものが実現してしまうので、最近はそこをどう回避していくかを考えているからです。観客にも、月並みな参加の仕方ではなく、どこかで「裏切ってもらいたい」という期待を持っています。また「誰も参加しなくても、自分でやればいい」という意識もどこかで持っていたいとのことです。
●いま危惧していていること
ワークショップが「地域住民と何かをやったと言うためのアリバイ」に使われていることが気がかりだと川俣さんはいいます。そのような状況を指して、川俣さんは「アーティストが『良い人』になってしまっている、『良い人のアート」になっている」と表現しました。
日本ではどこの地域でも同じような芸術祭をやっていて、バリエーションがなく、そこでは「アーティストがあたかも『地域の救い手』かのように扱われてしまっている」ことも問題だと川俣さんはいいます。
一方、桂さんは日本の美術館やアートフェスティバルにおいて、検閲や自己規制がひどくなってきていることについて触れました。高山さんは「そのつもりでやっているわけではないが、自分は地雷を踏むことが多い」と苦笑します。たとえば「国民投票」という言葉を使ったときには、反原発の政治運動なのではないかと一部行政から問題視されたことがあったそうです。「だから、きれいごとでもいいからアンガージュマンをいうことが必要なんじゃないか」と桂さんはいいます。
川俣さんは、ピカソ美術館が世界中で収益をあげている例を挙げ、国家の視点からみても、アーティストが成功した場合のインパクトは非常に大きいと指摘します。日本では北斎のことが話題になることはあっても、国のアイデンティティとしてアートを扱っていく姿勢がフランスに比べると希薄だといいます。川俣さんが「フランスでは(ピカソのように外国人であっても)成功すれば『フランスのアーティスト』にされるんだ」と語ると、会場は笑いに包まれました。
●EPOCH
川俣さんが「EPOCHでは、PC(ポリティカル・コレクトネス)の枠組みで自分たちが考えてしまうことをどう超えるかが課題」と述べると、桂さんは「それよりも、社会の側がどうしてもPCの枠組みで受けとってしまう状況があるときに、自分たちがそれをどう考えるかの方が大事」と応えました。
ここで観客と参加者の違いが再び問題になってくると桂さんは言います。たとえば、映像の世界では、テクノロジーの発展と普及によって、以前は観客(オーディエンス)だった人たちが、参加者(パーティシパント)になることも(部分的とはいえ)可能になってきている、そのような新しい状況のなかで、アウトサイダー・アートやアール・ブリュットといった既存の枠組みとは違ったものをつくっていくことが必要なのではないか、そのように桂さんは考えているようです。
近代において、自分たちにできないことを「未開人」「子供」「障がい者」がやってしまう「ワンダー(驚き)」ということだけでマジョリティがカテゴライズしてきたものを、そうではなくする「発明」が必要なのではないかと桂さんはいいます。
最後に、桂さんが「EPOCHでは、様々な実践をしながら考えてきたが、そろそろ『送り出し方』(社会にどうその成果を伝えていくか)を考える時期に来ている」と述べ、2時間以上に渡った今回のトークは終了しました。
●お知らせ
川俣さんと高山さんの近作です。ぜひご覧ください。
○川俣さん:
国東半島芸術祭「La Chaire(説教壇)」 http://www.city.kunisaki.oita.jp/site/hanto-geijyutu/tadashi.html
○高山さん:
「完全避難マニュアル フランクフルト版」 http://portb.heteml.jp/archives/622
「宿命の交わるところ?秋田の場合」(※近日公開)
レポート執筆:高橋裕行(キュレーター)