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臨床トーク_004「川俣正×桂英史×三脇康生」報告

臨床トーク_004「川俣正×桂英史×三脇康生」レポート

2016年7月30日、西條クリニック(東京都新宿区)にて、臨床トーク_004「川俣正×桂英史×三脇康生『批判的であること』をめぐって」が開催されました。

川俣正さん(アーティスト、パリ国立高等芸術学院教授)、桂英史さん(東京藝術大学大学院教授)、三脇康生さん(精神科医)がパネラーとして集まり、2016年東京都知事選を翌日に控えたタイミングで、2時間20分にわたる議論を展開しました。

 

三脇康生
三脇康生
1963年生まれ。京都大学文学部(美学美術史専攻)卒業後、同大学医学部、大学院博士課程卒業。精神科医。文学部時代はマチエール概念について考察。医学部卒業後は臨床精神医学(家族療法のメッカであった湖南病院で研修)を学ぶ。大学院では精神医療システム比較、とくに医療審査会の日本と欧米比較を千葉の浅井邦彦氏や平田豊明氏などと共同研究する。またフランス政府給費留学生としてパリ第一大学大学院(科学哲学、科学史)DEAを取得。医学部在学中から、関西の版画運動に触発されつつ、現代美術批評を行う。ソフィカル豊田市美術館展覧会のパンフレット文章、今村源、岡田修二などについて批評を書く。フランスのラボルド病院をフィールドとして著作を編んできた。これらを総合的にまとめた「アート×セラピー潮流」というフィルムアート社からの編著がある。訳書には、ジル・ドゥルーズ(哲学者)やジャン・ウリ(精神科医)やバイロン・グッド(医療人類学者)の著作がある。川俣正とはカフェトーク14回、ネグリシンポジウム(東京藝術大学)につづいて3回めの公開トークとなる。現在、仁愛大学大学院臨床心理専攻教授。

 

川俣正
川俣正
1953年生まれ。仮設的な構築物を一般の人々との共同制作により各地でつくる作品で世界的に知られる美術家。最初期から自らの作品を「プロジェクト」と呼び、現場での様々な人々との協働から生まれる場の関係性や社会性そのものをアートとして提示している。東京藝術大学先端芸術表現科の立ち上げに尽力し、2005年には横浜トリエンナーレディレクターを務め、現在はパリ国立高等芸術学院(ボザール)教授。

 

桂英史
桂英史
1959年生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科教授。専門はメディア理論と図書館情報学。『インタラクティヴ・マインド』『東京ディズニーランドの神話学』、『せんだいメディアテーク コンセプトブック』などの著作で知られるほか、各種アーカイブの構築、地域の文化施設の立ち上げや運営など、実践的な教育研究活動をしている。

 

●経緯
臨床トークは、川俣さん、桂さん、西條による EPOCH(Extended Project for Community-care and Hospitality) という「地域医療と表現活動のコラボレーション」をテーマとしたプロジェクトが母体となっています。2002年に西條が呼びかけ、桂さんが応じて実現しました。

EPOCHは、東京藝術大学、日本医科大学、浅井病院、放射線医学総合研究所が協力し、2004年から浅井病院(千葉県東金市)をフィールドとして、精神障害者、病院スタッフおよび地域周辺住民を含めた協力者とともに、絵画、写真、園芸などをプログラムとするワークショップを数多く実施しました。

臨床トークでは、EPOCHで得られた知見や経験を前提としつつ、それぞれの今の活動や社会問題を絡めつつ、1年から2年に1回の割合でこれまで開催しており、今回が4回目となります。

 

 

●「患者中心の精神医療」と「当事者」

はじめに、三脇さんから「患者中心の精神医療」というテーマが提起されました。海外では精神病院の数を減らそうとしており、地域で患者を支援するという形が増えているのですが、日本は病院の数が多く、まだなかなか病院の外には出られないという状況が存在するそうです。

しかし、そのなかでも、たとえば患者を「当事者」と呼び、ユーザ視点で、医者だけでなく、就労の支援なども受けつつ生活全体を考える、お医者さんにすべてを任せきりにしない、というやり方が少しづつですが増えてきています。

ただし、注意すべき点があると三脇さんは言います。もともとは「エンパワーメント」という場合には「困っている人がいるということは、社会全体のなかで何かおかしいところがあるのだから、そういう方たちも生きやすいように、社会全体のシステムを少し変えていくべきだ」という意味が込められているのですが、日本では、ともすると、「困っている人に力を与え、底辺から引き上げる」ということだけの意味に誤解されてしまう可能性があると。それでは「誰が一番困っているのか探し」になってしまいます。実際には、誰しもそれぞれ少しづつ何かに困っていたり、しんどさを抱えているはずで、そのなかで連携していく方向をさぐるべきだと三脇さんは考えているそうです。

また、患者(当事者)が中心であることが病気の治療に直結する(治療も患者自身が症状をマネージメントする)という議論があるのですが、三脇さんは、それだけが唯一最良の方法だとされるのは心配だといいます。そうではなく、治療にもさまざまなものがあり、多くの選択肢の中にそれも含まれるのなら良いだろうと思えると。選択肢を増やすことこそが一番重要で、選択肢を増やすことで社会も変わり得るといいます。

患者中心というときに、病院にはどうしても階層構造があり、限界があるため、それを解決する方法として、地域に出ていく、「脱施設化」という方向に持って行こうとしているわけですが、実際には、地域の方も、少子高齢化などで疲弊しており、受け入れ切れないという現状があります。一概に地域が良くて病院は良くないということも言えない時代状況のなか、外国の真似ではなく、選択肢を増やしながら総合的に考えていく必要がある、と三脇さんはいいます。

 

●地域における精神医療とアートの共通性

桂さんが、アートに話を展開しました。アートにおいては、作家と観客の分断線が曖昧になっていくというコンテクストがあり、医療においては、医者と患者の分断線を少し曖昧にしていく、開かれたものにしていくというコンテクストがある。必然的に両者とも「地域」に目が向いていっている点が興味深いという指摘がされました。そのうえで、桂さんは、三脇さんに「分断線を曖昧にしたときの問題点は?」という質問を投じました。

臨床トーク_004「川俣正×桂英史×三脇康生」

 

●「充足した独房」と「欠乏した自由」

三脇さんの応答は、「地域のなかには、ある種の閉じた場所も必要」というものでした。

「何人かのひとが、ちょっと集まって、ある程度の密度をもてるような場所、それは、例えば、家庭かもしれないし、協同組合かもしれないし、あるいは、ダンスをするために集まる、などでも良いが、そのクオリティが問われるべきだ」と。

医療に関しては、精神疾患の有無にかかわらず、ある種、その場所に集まることで、癒されて、エネルギーをもってかえれるような、近代的な個を少し外せるような場所が(復古的な形ではなく)存在しないと「ただ施設を開きました」だけでは難しいのが現状だといいます。実際、例えば、イタリアのトリエステでは、病院はなくなっているけれども、精神保健センターがあって、ベッドがあって少し休めるようになっており、そのような開き方は参考になるのではないか、ということでした。

それを受けて、川俣さんが、安部公房の『箱男』に出てくる「充足した独房」と「欠乏した自由」という言葉を紹介しました。美術館が制度的なもので、作品の見方を観客に与えてくれる(強制する)という意味で「充足した独房」だとすると、そこから飛び出した場合の「欠乏した自由」を対照的に考えてみると面白いのではないかと。

 

●積極的自由の行使と公共福祉としてのアート

桂さんによると、もともと近現代美術は都市生活者の表現だと言います。

しかし、その都市生活者のモデルが、ミレニアム頃から曲がり角を迎え、ヨーロッパの各都市で、地域の経済、産業、文化の異種混淆が起きているというところに希望をみているという背景があり、そのうえで、観客と作家、都市と地域の二項対立の分類が曖昧になって、クレア・ビショップやニコラ・ブリオーの議論も出てきているとのこと。

そのうえで、単に権力に干渉されないということではなく、権力の中にあって自由を享受していく積極的自由の考え方で改めてアートを捉えてみると、参加という言葉の意味も変わってくるのはないかといいます。

単に観客が作品に参加するのではなく、むしろアートが、民主主義や地域経済、地域社会に対して「参加」していくべきであると桂さんはまとめました。

 

●搾取?

その後、搾取の話になりました。

三脇さんによると、精神医療の分野でも、医者だけでみるのではなくチームで診る、たとえば、退院した患者が入院した患者を訪問したりする例などがあるなか、ともすると、当事者同士で助け合ってもらうことで、医者が他の患者の労働を横取りしているとか、福祉職のひとを酷使したなどと言われてしまう危険性もあるそうです。とくに、症状の改善が見られず長期入院になったり、トラブルがおきると、協力者からは「せっかくがんばったのに搾取された」と言われたり、医者の側も「いろいろな人の力を借りたのにうまくいかなかった」と自責的になってしまうことがあるようです。

一方、川俣さんの作品制作への参加はまったく自由で、出ていくのも自由。そのなかで、川俣さんが当初設定したルールを参加者がぜんぜん違うものにしていくこともあるそうです。たとえば、身体に障がいがあったり、肉体的に特定の作業ができない人が他の人と違ったことを始めたり、そこについていく仲間が出たりすることもある。しかし、なかには、そのようなやり方がルーズすぎると感じて、不満をもって出ていってしまう人もいるそうです。

 

●Epoch-making 地域精神医療と芸術表現

続いて、川俣さんがオランダでアルコール依存症の人たちと共同制作したときのエピソードを紹介しました。木道をつくったのですが、ひとによって作っていくペースがまちまちで、木道の一部分だけが先に完成してしまったりして、集団作業であるにもかかわらず、場の一体感がうまれにくいという状況もあったと。

三脇さんは、そのようにバラバラのままに「包含していく」力に理解をしめしつつ、治療の場合にはどうしても結果を出す(=治療の結果が出る)ことがいつの間にか誰かから期待されてしまうところに難しさがあると指摘しました。

桂さんによると、EPOCHも、治療的効果を聞かれることがよくあるが、それには違和感があるといいます。アートの役割は、人に何かを考えさせたり、ちょっとした波紋を投げ掛けてスピードを遅くしたりすることで、こうしてEPOCHが15年以上続けられているのも、表現して投げかけるという意味で、プリミティブなプラットフォームだからではないかといいます。

EPOCHの話に移ります。川俣さんは、EPOCHでは、活動のあいまあいまに、患者さんの表現がすごく良い瞬間があって、やってる側はそういう個々の発見を成果だと思っているが、それを周りに紹介していくときには、なかなか理解されないところもあったといいます。透明なビニールハウスを駐車場に建てて、そのなかで患者さんに自画像を描いてもらったり、ビデオを撮ったり、アーティストを呼んでライブなどもしたが、そういう制度やルーティンからはみ出したものに対する評価の仕方がわからない部分があったのではないかと。

それに対して、桂さんと西條は、浅井病院の医師やスタッフの中には批判的に見る方もおられた一方、自ら積極的に関わってくれた方もいたし、3年以上続けられたこと自体を評価と理解すべきだと言います。

ただし、失敗もあったそうです。患者さん自身が他の患者さんを撮影して映画をつくるという試みは、最終的に、被写体となった患者さんが病気で亡くなってしまったのですが、その過程で、撮る側だけでなく、周囲のスタッフも含め、ある種あらかじめ想定された「物語」にむかって協調的に動いていってしまった結果、本来は「当事者が撮る映画」という意味で、従来の映像表現を批判的に覆そうと思ってはじめたにもかかわらず、ネガティブなものになってしまったと。

臨床トーク_004「川俣正×桂英史×三脇康生」

三脇さんによると、脱制度化は、「制度を潰す」のではなく、「制度がいっぱいある」ことが重要なのだそうです。たとえば、クレア・ビショップの本のなかにも、フランスのラボルド病院で年に一度の演劇祭で結束を深めているという紹介が出てくるのですが、実態は、外にいるひとが自由に入ったり、反対に中の患者さんの方は喫茶店にいっていたりしていて、むしろ一同に会するでは「無い」ことの方が重要なのだといいます。

 

●「閉じる方に関心がある」

パリ在住の川俣さんが「テロの話をしたい」と切り出します。パリでは、情報戦のなかでもはや誰がテロリストかわからず(隣人がテロリストかもしれない)、どこで何が起きてもおかしくない、というような緊張感が漂っており、あえて意識してカフェや公園に出て日常生活を続けなければならない、というような状況。そのときに、かつてのパフォーマンスやハプニングのような表現は無効なのではないか、また観客と作り手の関係もタブララサ(白紙)から考えなければならないのではないか、と問題提起をされました。

一方、川俣さんは、現在、会員制で制作費を集め、助成金などに頼らず、会員だけが作品を見られるという「三笠プロジェクト」を進めています(※前回の臨床トーク http://saijo.net/blog/archives/532 でも触れられています)。「閉じる方に関心がある」と川俣さんはいいます。

「三笠プロジェクト」は、現在、地元の同級生などを含む360名ほどの会員がおり、年会費は一口1万円で、3年ほど続いているそうです。焼き鳥屋に集まり、アートとは縁のない医者や米屋、自転車屋さんなどが集まり、川俣さんが現代美術のレクチャーをしたり、先のことを議論したりしているそうです。88歳の米寿まで続けるつもりだそうです。

三脇さんは、近代フランスの詩人ボードレールの「通りすがりの女に」を参照しながら、近代の都市のおける匿名な者同士の恋=一目惚れという状況は、かつての農村共同体には存在しなかったものだが、他方で、現代のネット状況では、下手をすると、ストーカーまがいになってしまうと冗談を述べながら、オフミュージアム企画だけで美術館を開くと言っても開いた気にはなりやすいけれども、「開かれすぎていること」だけではアートには厳しいのではないかと述べました。また、例えば、高橋耕平さんの御詠歌を扱った映像作品のように、クローズドな場所を見せるようなアプローチは、絵画のタブローのような「窓」とは異なり、川俣さんの活動とも共通点があるのではないかとコメントしました。

 

●フォーマリスト的価値観と参加型アートの価値観、その評価

ここで三脇さんから川俣さんに、新たな質問がありました。フォーマリスト的な価値観と参加型アートの価値観の関係についてです。三脇さんは、パリ留学時、川俣さんの教会の椅子のインスタレーションを見て、そのフォーマリスティクな造形に感銘を受けたそうです。

川俣さんは、場作りを中心に据えていった場合、作品の評価が話題性に流されやすく、きちんと行われていないのではないかと答えました。桂さんは、川俣さんの作品のようなプロジェクト型の作品の場合には、フォーム(形態)では扱いづらく、タイプ(型)で議論した方が良いかもしれず、それも含め少しずつではあるが、言説のキャッチアップも進んできているのではないかとコメントしました。

 

●残された言葉と身振り
バカロレアの試験のテーマに、川俣さんの作品が取り上げられたことがあったそうです。それがきっかけとなり、ラ・ヴィレットで高校生と一緒に作品をつくったとのこと。川俣さん自身は、自身の作品や活動が、西洋美術史のうえでどう位置づけられるかについては、商業的に評価されるアーティストもいれば、無名であっても参照される作家もいて、それは自分で決められるようなものではない以上、歴史のうえでどういう、というよりはむしろ、今やっていることからの展開に関心があるのだそうです。

「ずっと時間をかけて発酵していくようなものが最近少ないのではないか」と川俣さんは言います。すぐに出てくるリアクションではなく、10年とか、20年後に、地場も含めた人の行為が出てきてほしいと。10年続けたコールマイン田川のプロジェクトでも、誰かに「見せよう」としたのではなく、やっている側のなかで、自分のなかでなにか「納得したかった」という感覚があり、発酵して何か違うものになっていくものを見たかったのだそうです。

桂さんは、その話を受け、「閉じる」ということは、利害関係でつながるのでなく、壁を作るということでもなく、地域に「言葉と身振り」を残すことが生命線になるのではないかとまとめ、トークは時間となりました。

レポート:高橋裕行

 

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