ブログをいつもスタッフにばかり書いてもらっており、院長もそろそろ一文を、との注文もありましたので、僭越ながら、一文を草したいと存じます。
私は大学時代に、地元徳島の、少林寺拳法国府導院(現在は達磨禅直心館道場)という道場に通っておりました。大変素晴らしい道場で、そこで教えていただいた事や、出会った素晴らしい方々のお陰で、今の私があると申し上げても過言ではありません。その道場の素晴らしさを、いつか、できるだけ多くの方にお伝えしたいと常々考えていたこともあり、今までの当クリニックのブログとはちょっと趣旨が異なりますが、今回は、大変魅力的な人物、達磨禅直心拳法師範の野々瀬光夫先生をご紹介させていただきたいと存じます。
野々瀬先生と私の出会いは、私が19歳で当時の少林寺拳法国府導院(現在は少林寺拳法から独立して直心拳法?じきしんけんぽうとなっています)に入門したことに始まります。骨格のがっちりとした身長160cm程度の小柄な方で、柔和な表情と大変丁寧で優しい言葉遣いが印象的でした。武道の師範という自分の中で記号化されたイメージとはかけ離れておられたこともあってか、最初から「この方は何かが違う」と感じたことを想い出します。しかし、そうした感慨に耽っておられたのも束の間、お会いしたその日に、道場に出て、当時60歳の野々瀬先生に、関節を極め(きめ)られ、まるで赤子のように、何度も投げられた私は、さらに大きく身体的にも精神的にも揺さぶられ、以後は、毎回のように虚を衝かれ続ける、という人生最良の「稽古」にどっぷりとつかっていくこととなりました。
達人、というのは恐ろしいもので、いくら年齢が60歳といえども、反射神経、パワー、タイミングが非常にバランスよく整えられていると、圧倒的な強さを発揮します。時に、信じがたいような達人伝説を耳にしますが、野々瀬先生と会った後では、それらが全て自明のこととして受け入れられるようになるほどの強さと美しさをお持ちでした。しかし、私は野々瀬先生の強さや技の美しさにのみ影響を受けたわけではなく、むしろ精神面で、あるいは生き方の美しさにより強い影響を受けました。
拳法以外にも名石、屏風画、瓢箪画、書道などにも通じておられ、道場の2階をギャラリーとして公開するなど、非常に精力的に活動を続けていらっしゃる野々瀬先生でしたが、ある日、19歳の自分に向かってこう仰いました。「西條君、あんたは今が人生で一番ええ時期だと思うとるだろ(いい時期だと思っているでしょう)?でも、実は私から見れば、今のあんたの頃の楽しみやわ(などは)ほんの爪の先くらいでしかない。40が来たら40、50が来たら50、60が来たら60で、ああ生きとってほんまに(生きていて本当に)よかったなあ、ということがある。ほら(それは)つらいことも増えるけどな(笑)」その目は少年のように輝いていました。私はその時、「この先生が、そう仰るのなら、ほんまにそうなんかもしれん(本当にそうなのかもしれない)!」とそれまでの生き方を反省すると同時に、自分は日本一の道場に入門したのだなと実感しました。
以後は、心酔したとでも言いましょうか、何を差し置いても野々瀬先生の法話を聞きに出かけ、技は技で練習日でもないのに道場に出かけていって、雑巾がけをしてから、練習に打ち込み、実際の練習日には時間外でも野々瀬先生のご子息でおられる若先生お2人(この方々が、また激烈に強く、人格も素晴らしく、さらに付け加えるととびきりの男前です)に交代で乱捕りを申し込み、毎回こてんぱんにのされるというような「大学の放課後」を送るようになりました。マニアックに喩えるなら「男たちの旅路」で鶴田浩二演ずる吉岡司令補を北海道まで探しにいった水谷豊のような心境だったように思います(何にも分かりませんね、こんな喩えでは)。vol.2に続きます。